2008年06月18日
原の寒天の様子

原、塚脇地区では、冬季には寒天を盛んに作っていました。米の裏の季節に寒天業者が田んぼを借りて作ります。「てんぐさ」を煮てそのエキスで寒天を作ります。それをところてんつきで細長い状態にして冬の冷気で凍らせます。翌日、昼の陽気で氷が溶けて水分がなくなります。そしてパリパリの繊維状の寒天が出来上がります。最近は田んぼで干している光景は見かけなくなりました。
写真「茨木高槻の100年」より
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16:14
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2008年06月18日
あのころの高槻センター街

高槻センター街にバスが走っていました。センター街の真中の交差点から北へ200mほど上がり左折して国鉄高槻駅に入ります。でるほうは、今のグリーンプラザ1号館のところを南下して、高槻センター街に入ります。当時関西電力の事務所がありました。(今のパチンコ店)バス会社の係員が旗をもって立っていました。八丁松原から国鉄高槻駅に入る道ができるまでたかつきセンター街をバスが通っていました。バスが通ったあとは、ディーゼルの排ガスで商店街中が煙っていました。
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16:04
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2008年06月17日
高槻市役所

昭和28年の写真です。昭和6年に完成したのですが、高槻町から高槻市にかわって市庁舎になりました。今のマツサカヤとグリーンプラザ3号館のあたりにありました。高槻駅前に高槻市役所があったのです。
「茨木高槻の100年」より抜粋
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17:16
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2008年06月17日
よいこの盆おどり

昭和37年の写真です。今の阪急の高槻駅の北側の広場だったと思います。主催は、高槻児童文化協会だったと思います。商店街の寄付で開催されていました。私は、12歳でしたので参加したかどうか覚えていません。
私は、数年の後高槻児童文化協会の会員になって「よいこの盆踊り」をお手伝いをしました。昭和45年頃です。近所の子供たちが大勢集まりました。
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2008年06月17日
上牧、五領の上空より

五領地区から上牧地区にかけての航空写真です。車の台数からして昭和40年頃、新幹線はできていますので昭和39年以降に間違いはありません。空から見ると、田んぼの中に線が5本。名神、国鉄、阪急、新幹線、171号線。
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14:53
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2008年06月17日
新京町商店街
昭和30年代の高槻センター街です。この日は、商店街に休日を設けようということで本日は休日です。行政視察を受けているところだそうです。前の方が役人さんで後ろのほうが商店街の役員です。私の父はうしろから二人目で映っています。

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10:06
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2008年06月17日
大阪医科大学ができた頃
昭和7年高槻市の大学町に大阪医科大学ができました。今の阪急高槻駅の北側にありますが、当時は回りは全部田んぼでした。建築家「ヴォーリズ」の作品で今は一番東の棟が大学の歴史資料館として残っています。

「茨木高槻の100年」より転載しました。
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「茨木高槻の100年」より転載しました。
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