2007年12月18日
昭和30年代後半の高槻センター街
その頃は、新京町商店街と言っていました。古い写真が見つかりましたので掲載します。
今の、JR高槻駅へバスが入れる道が、センター街しかなかったのす。大阪医科大学の北側の道はまだありませんでした。
あまりの危険さに商店街のみんながたちあがりました。これはそのときのデモの様子です。後ろから来るバスに対して牛歩で対抗しました。結局、バスの通行は昭和45年まで続きました。
これは、当時、商店街はほとんど休みがなかったのですが、労働基準局が休みを奨励していましたので、商店街を上げて一斉休暇を取りました。そのときの基準局の査察の様子です。後ろの方が商店街の役員です。私の父が後ろから二人目に映っています。
Posted by まちなか仕掛人 at 09:40│Comments(2)
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この記事へのコメント
TBありがとうございます
高槻に移って来たころに「センター街にバスが通っていた」と聞いた事があり
驚いた事がありましたが・・・本当だったんですね~
この写真は、バスと車が今のセンター街を通っているのですか?
貴重な写真ですね~また古い写真がありましたらご紹介して下さいね。
高槻に移って来たころに「センター街にバスが通っていた」と聞いた事があり
驚いた事がありましたが・・・本当だったんですね~
この写真は、バスと車が今のセンター街を通っているのですか?
貴重な写真ですね~また古い写真がありましたらご紹介して下さいね。
Posted by kiko at 2007年12月18日 10:32
高槻センター街をバスが通っていました。芥川商店街も通っていたんですよ。その頃、国道を除けばセンター街は一番大きい道でした。。時間軸を作って見ると町の発展が違って見えます。
Posted by 中川 at 2007年12月19日 09:24
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